【1983年】 DX-7とKX-1発売の時 前編

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今でこそバンドネオンやアコーディオンがサマになる世の中ですが

こんにちは。imoimoです。

遠い昔。ステージで目立つのは何と言ってもヴォーカル。そしてギター・ベース。ドラムやキーボードはどうしたって楽器がかさばるので埋もれがちでした。

当時はプリセットもメモリ機能もなかったので、使いたい音色の数だけ楽器を積む必要がありました。ピアノ・オルガン・ストリングス(何と専用機)・シンセA,B,C…砦の様なキーボードに埋もれつつ「あー目立ちたい!」と切望する少年imoimoだったのです。練習は嫌いだけれど本番は好き。我ながらサイテーな少年でした。

そんな時。ついに画期的ともいえる名機DX-7が発売になります。

あまりに有名な世界初のフルデジタルシンセ。当時の最先端!!

ほとんど知られていなかったFM変調で発音する「加算合成」方式のパイオニアですね。

いわゆるアナログシンセと呼ばれるVCO-VCF方式は、元の音から倍音を削る「減算方式」が基本思想です(厳密に言うとちょっと違いますが)ので、逆に倍音を増やしちゃうFMシンセシスは、当時では全くの「未来的な何か」だったのです。

これとほぼセットで発売になったのが今でいうMIDIコントローラーのハシリ、KX-1でした。

この機材、音が出ないくせに20万もしました。当時は音の出ないキーボードなんてアキバのパーツ屋にしか無かったのでかなりびっくりでした。向谷実さんが愛用していました。

その他にも、RolandのSH-101

みたいに、ショルダーにできるシンセはあったけれど所詮はモノシンセ。これじゃあ目立てない。

で、和音の出るポータサウンド(→[キーボードがカジュアルになったのは1980年頃からだった話])

をショルダーにして目立とうとしたのですが、いかんせんピアニカサイズ。見た目が最弱です。ギターみたいにネックて言うかツノがあるヤツがいーのに。

そんな時に、ちゃんと和音も弾けてショルダーでツノも長ーいのがKX-1でした。この時期はベンドの仕様が乱立していて、SH-101はホイール。ギターのチョーキングみたいにやるわけです。他に縦横に動くジョイスティックみたいなものや、KX-1の様にリボンコントローラのものがありました。

未来的なDX-7は、当時の人気機種KORGのPolysix

とほぼ同額で25万弱。JOURNEYのSeparate Ways(Worlds Apart)で有名な高級機Roland Jupiter-8

のおおよそ1/4の価格。海外製の名機Prophet-5

とかは150万以上したので、時給500円そこそこの当時では庶民には絶対無理な機材。庶民にも買える限界価格が25万くらいだったのですね。

でもどうして外国シンセはそんなに高かったんだろう…

当時の円/ドル レートを調べたら、大体1ドル=250円ぐらいでした。と言う事は現代だったらProphet-5て60万くらいだったのか。Jupiter-8の方が高いじゃん。更に時給でならして現代に換算すると、おおよそDX-7が60万。Prophet-5が130万ぐらい、と言う値頃感ですね。やっぱり当時の機材は高いな、とあらためて実感。

そんなとある火曜日の朝。練習嫌いな上にお金にも疎かった少年imoimoは物欲の赴くまま、DX-7とKX-1の一気買いを決意し、イシバシ楽器店様に出陣したのでした。もちろんローン組む気満々。頭金は無論ゼロ。丸腰の出陣です。

…と、取りあえずここまで。後編に続くのです。

DX-7とKX-1発売の時 後編

追記:これらのヴィンテージ名機。今ではVSTでエミュレータがたくさん出ており、無料VSTでも一通り揃っております。コレクター魂に火が付いた場合はこちらのページへ

※2018.6.18に書いたページがなんだか調子悪いのであらためて書き直しました。

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