Z-80を初めて見た時はお汁粉食べながらだった話

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パソコン以前。ワンボードマイコンの先駆けとして今でも話題に上るZ-80のキット。

こんにちは。imoimoです。

ウォークマンもビデオもまだまだなかった遠い昔。コンピューターて言うのは本当にシーンとした大きな部屋の中でカタカタとテープが回るものでした。手塚アニメや、ルパン三世とか、バビル二世に出てくる特大のコンピューターは結構リアルだったんですね。

いや、本当にこんな感じだったんです。白衣着て、「立入禁止」て書いてある部屋の中で動いてた。性能的には今日のスマホはおろか電卓以下とも言われていますが。

仲間に一人コンピューターにとりつかれたヤツがいて、シンセもコンピューターも未来的な何か的な物だ、てんで一緒に大学生に囲まれながら情報処理研究所なんて言うギャグみたいな名前の建物でイタズラしていたのでした。そこにあったのはUNIVACのコンピューターで、英語もよく読めない年だったので「ウニバカ」とか呼んでいた、け。プログラム読ませて、結果が出るまで半日とか普通にかかった。

そんな年のお正月に、ヤツが「ナカニシさんちにお年始に行こう」と誘って来たので伺ったわけでした。

誰だか知らなかったけれど、そのナカニシさんちにお邪魔すると、古い平屋の居間にコタツがあって、コタツの周りはキカイだらけ。当時テレビ局にしかなかったような三脚付のビデオカメラが立っていたり、そこら中電線だらけでいかにもなお宅でした。当時は「おたく」と言う言葉はまだなかったので「マニア」だとナカニシさんを理解しました。

ご新婚との事で奥様がお汁粉を振る舞って下さいました。超美味だったのでした。

そこで見せびらかされたのがZ-80。見た目はケースなしの特大電卓みたいな印象でしたが、ナカニシさんとヤツは何やら熱く語っていました。

そうそう、こんな感じ。

熱く語っていたのはNECから出たキット、TK-80だったのね。Z-80て言うのはこの中の部品の一つ。CPU、てヤツの事だそうでした。今で言うRaspberry-pi

みたいな位置づけのものですね。もうちっと手強いイメージですが。サイズ的にも6倍ぐらいデカかった気がします。

ナカニシさんに「キミはシンセサイザーやるんだろう?」と振られて、yesと返事をしたあとで、松武秀樹先生(→YMOて想像以上に衝撃だった話)がコンピューターでシンセ動かしてるのを知っていたので「これでシンセを動かせますか?」と聞いたところ「できるけれど君には無理。ちゃんと勉強しないとね」との正鵠をつくご回答。その時は結構勉強する気になりました。

ちょっとアセンブラとか勉強したけれども、すぐに挫折。

で、そのナカニシさんて誰だったのだろうとその後知る事になるのてすが、コンピューターの黎明期に自分で大型コンピューター組み立てて、日本に情報処理と言う学問を作り出した重鎮の方々の一人、中西正和教授でした。その頃は助教授だったけど。

そんなエラい方とも知らず、お汁粉すみませんでした。

そんなこんなでお粗末様でした。

むかしばなし
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